7/6-7 岩手・宮城の生産者研修交流会に参加して

生活クラブ生協の生産者は、親生会(しんせいかい)という生産者団体を作り、長年にわたって独自の活動をしてきています。月山パイロットファームも一員として、親生会の活動に参加させていただいております。

さて、今年の生産者研修交流会は、東日本大震災で大きな被害を受けた岩手・宮城の生産者をめぐる旅でした。

月山パイロットファームからはいずもじが参加。重茂漁協は、弊社社長が生活クラブに就職した時に最初に研修でお世話になった所縁が深い生産者の一つです。2時起きで漁船に乗せていただいて、獲れたての魚の刺身をその場でいただいたそうです。その本当に美味しかったことと言ったら!忘れられない思い出のようです。

 

【本州最東端 重茂(おもえ)漁協】

津波は最大40.5m。想像できない高さです。
移動中に、岩手で被害を受けた各市町村の映像を綴ったDVDを観ましたが、「津波到達地点」という真新しい看板が山間部の随所にあるのを見つけて、現実を思い知らされました。機会があれば、無理してでも足を運ばれることをお勧めします。

組合員が500名を超える漁業協同組合だそうですが、震災の数日後に組合長が「復興に向けて取り組みを始める」と宣言したのを、驚きと、半分はほんとかなぁ…という気持ちで読んだのを思い出します。

本州最東端に位置する重茂漁協、盛岡からの移動は3時間。海と山の際スレスレを縫うようにして走る道を、復興工事用の大型車両と譲り合いながらすれ違いました。ただ、現在トンネル建設中ということで、開通すれば、峠の移動がなくなるとこのこと。

途中車窓からは、巨大な防波堤建設の様子、異様に広がる更地の多さと、人の気配の少なさを感じました。

重茂漁協では、ベテラン職員さんの指導のもと、全員でワカメの茎(芯)取り体験。その後、重茂漁協加工部次長 後川さんから、重茂漁協初代組合長の西館善平氏の『天恵戒驕』の精神についてうかがいました。その精神に忠実に、そして応用・発展させる形で震災を乗り越えたのが、伊藤組合長のもとに結集した重茂漁協のみなさんでした。

ところで、重茂の半島に入ってからは、手入れが行き届いた森に大変驚いていたのですが、実は重茂漁協ですべて買い取って管理しているというお話を聞いてさらに驚き。

魚は日影に集まる習性があるため、森を手入れし良好な山に保つことが、子々孫々に至るまで漁獲量を確保するには必要だからとのこと。

また、40年も前から婦人部の石けん運動も徹底されていて、一戸一戸回って理解を求め、合成石けんは回収して回ったというのですから、恐れ入りました。

確かに、車内で見ていたDVDでも、重茂漁協の隣の宮古では、数分で人も窒息死するというヘドロの真っ黒な津波が押し寄せていましたが、重茂の海の津波はコバルトブルーでした。東日本大震災で最高とされる40.5メートルの津波の被害を受けながらも、湾内の自然環境の回復が他より早かったのは、大いに頷けました。

それまでの丁寧な自然環境の保護が、圧倒的な差異となって震災後の復興に現れたのは間違いないでしょう。

海のゴミは2050年には海にいる魚の量を超えると言われていますが、日本の海も重茂漁協のような保全の意識が広がってくれれば良いのにと思いました。(参考:The New Plastics Economy Rethinking the future of plastics

【南三陸町歌津 (株)丸壽阿部商店】

カキなどの水産物の加工を行う丸じゅ阿部商店さんですが、この日は地元の漁協の皆さんの漁船に乗せてもらって、実際にカキ養殖の養殖地を見せていただきました。漁師さんの朝は早い!というのはイメージで持っていましたが、陽が昇ると風が出て仕事にならないから、なのだそうです。

当然、このエリアも大きな津波が来ています。カキ養殖に適していることもあり、少し内湾になっているため、それが原因で船を出すのが遅れて被害が広がったということでした。

養殖現場というと、重茂漁協で見せていただいたアワビの養殖場のような施設を連想していたのですが、カキ養殖は湾の外の海の只中。船が波にゆらゆら揺れながら、すごい仕事場だな、、と思わずにはいられませんでした。

防波堤建設の真っ最中。海の景色が見えない高さの防波堤に違和感を覚えない人はいないのではないかと思いますが、いかがでしょうか。

漁協の皆さんは、震災を機に養殖のあり方を再考し、なんと震災以前以上に収益の安定化と効率化を実現されています。それまで養殖カキは、数十センチ間隔で育てていたのですが、1メートル間隔に変えたことにより、酸素が行き渡り、生育が著しく良くなり、また品質も向上。収穫時も効率化が図られたことで、労働時間も短縮。
大震災というピンチを、次世代につながる、大胆かつ合理的な改革に結びつけたのは特筆すべきことでしょう。

漁協の方から船を出していただき養殖場まで向かいます。
養殖カキのロープには、草のような海藻がいっぱい!これを除くのも大事な仕事。水を含むので、とてつもない重さ。やはりカキの影には重労働。感謝。
なんと豪快な ほや in 洗面器。しかも船上。恐ろしく美味。

【石巻市 (株)高橋徳治商店】

生活クラブ生協では、組合員のみなさんに届ける品物を「商品」と言わず「消費材」と言います。添加物は極力使わず、また栽培方法もすべて情報公開するという前提で、生産者が再生産できる環境を長い時間をかけて組合員と構築していくという特異な仕組みを作り上げている団体です。

加工品において、添加物を使わないというのは、もはや日本の食品業界では常識はずれになっているように思います。ですが、あえてそこにチャレンジする生産者もいるわけです。

高橋徳治商店さんは、石巻の海のすぐそばに工場があり、震災時には当然ながら津波でほとんどすべてが失われました。一時は大事な大事な従業員を全員を解雇せざるを得ず、再開を断念することも頭をなんどもよぎったそうですが、そんな中でも組合員から絶え間ない支援を受け加工を再開。現在、東松島市に新しい工場を建て、操業を続けています。

これだけの魚をさばきながらも臭さがないのは、やはり原料の魚の鮮度。丁寧かつ超高速で、一匹ずつさばかれていきます。

製造時も製造後も品質管理を徹底することで、添加物に頼らない練り製品の加工を実践している高橋徳治商店さん。練り物の製造機械が整然と並べられ、震災の津波を乗り切って残った機械を、修理してまた使い続けているのが印象的でした。汚泥の掻き出しに足を運んでくれた人々の思いを、まさに日々の製造に活かしながら、徹底した温度・湿度管理で高品質の練り物を世に送り出しています。

原料がブロック凍結されている。並ぶのは一級品ばかり。

【大川小学校】

参加者で、裏山に登れない人はいなかった。ここで振り返って学校を見て、言葉を失わない人はいない。

84名の小学生と教職員が亡くなってしまった大川小学校。無残に残った校舎からは、子どもたちの声が聞こえて来るようでした。
6年生男子の野球部の子たちの中には、地震の後すぐに裏山に駆け上がった子もいるそうです。それなのに、なぜか呼び戻されて、結局犠牲になってしまったということでした。

良い子たちだからこそ、避難を知らせる車が3度も来ているにもかかわらず、スクールバスが避難に向けてエンジンをかけて待っていたにもかかわらず、裏山には1年生でさえも1分あれば登れるにもかかわらず、その場の横並びの雰囲気の中、裏山めがけて駆け出すことができなかったのかなと想像していました。

とにかく、機会があれば、絶対に訪れるべきところだと思います。

日本では負の遺産を費用の問題を理由に保存しない傾向があるように感じます。アウシュビッツやベルリンの壁は、あえて費用をかけて後世に遺し、教訓としています。河口から4キロも遡ったところに位置する大川小学校。津波が襲った後は、橋も破壊していたため、北上川を船で渡り、遺族や中学生を含む子どもたちが現場に入り、極寒の中、素手で土を掘り返して遺体を収容したそうです。

とてもここでは伝えきれるものではありませんが、マスコミやネット媒体では伝えきれないリアルを、ぜひ一人でも多くの方に知っていただきたいと強く感じました。大人の責任は、大きいです。とてつもなく。

校舎は大変美しい造りをしていたとのこと。しかし、防災マニュアルは海のない県のマニュアルを書き換えただけだった。

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